所長ブログ
2013年8月24日 土曜日
[書評]磯村健太郎・山口栄治 原発と裁判官 なぜ司法は「メルトダウン」を許したのか(朝日新聞出版)
林浩靖法律事務所は、本日から夏休みを頂いております。とはいっても、業務上も家のことでも、たまっていることはいろいろありますので、少しでも、たまっているものを片づけなければなりません。今年の夏休みは、どこにも出かける予定はありませんので、少しは、片づけたいと思います。
そのたまっているものの一つに、「積ん読」状態になっている本を読むことがあります。ということで、今日、読んだ「原発と裁判官 なぜ司法は「メルトダウン」を許したのか」について、書評をしたいと思います(本記事は書評なので、ここからは、「です」「ます」調ではなく、「だ」「である」調で書きます。)。
本書の著者は、二人とも朝日新聞の記者で、もともと「朝日新聞のオピニオン面で2011年から2012年にかけて5回にわたって掲載したインタビュー記事が出発点」(201頁。なお、漢数字は算用数字に直した。)になっている書物であるから、法律の専門家向けの書物ではなく、一般向けの書物である。そのため、議論している裁判の判決年月日がきちんと示されていないなど、業務の上で用いるには、若干、使いにくい面があることは否めない(一般向けの本なので、本文に判決年月日を書かないのは読みやすさを考えればやむを得ない面があるが、できれば、巻末にまとめて示すなどの工夫をしてほしかった)が、それでも、通常語られることのない裁判官の葛藤などが示されている点で、一般の方にも、弁護士のような法律の専門家にも役に立つ本と言えよう。
福島第一原発の事故の前から、原発についての訴訟は、何件か提起されたことがあったが、住民側の主張が認められた事件は少なく、原発の運転差し止めが認められた最高裁判決は1件もなく、下級審の判決でも2例しかない(それも、いずれも、上級審で住民が逆転敗訴している。)。(ただし、新潟県巻町の原発候補地となった町有地売却の事件では、最高裁は、原発反対派側の主張を認めたので、結果的に原発建設が阻止された事例はある。)
住民側の主張が認められにくい一つの原因が、「伊方原発訴訟」の最高裁判決(最判平4・10・29)が、「原子炉施設の安全性に関する判断の適否が争われる原子炉設置許可処分の取消訴訟における裁判所の審理、判断は、原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の専門技術的な調査審議及び判断を基にしてされた被告行政庁の判断に不合理な点があるか否かという観点から行われるべきであって、現在の科学技術水準に照らし、右調査審議において用いられた具体的審査基準に不合理な点があり、あるいは当該原子炉施設が右の具体的審査基準に適合するとした原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の調査審議及び判断の過程に看過し難い過誤、欠落があり、被告行政庁の判断がこれに依拠してされたと認められる場合には、被告行政庁の右判断に不合理な点があるものとして、右判断に基づく原子炉設置許可処分は違法」として、裁判所の判断は、原子力安全員会の判断を尊重して行うという趣旨の基準を示したことにある。もちろん、この基準は、「原子力安全委員会が期待されているような役割を十分果たすのであれば」(144頁)、裁判所に原子力に関する専門的な知識があるわけではない以上、妥当なものと言えるであろう。しかしながら、この前提条件が満たされていなかったことは、福島第一原発の事故の後の経緯を見れば、現在ではすでに明らかであろう。
「いまの訴訟法が国策を争うようにはできていない」(75頁)というのは確かにそのとおりであるが、裁判官も人間であるから、結局は、国民の意識の問題であろう。結論は間違いなく、「国民の意識が変われば裁判も変わる」(196頁)ということである。裁判所は、人権の最後の砦であり、それを支えるのは、国民の意識であることは間違いない。裁判の抱える問題点も含めて、いろいろと考えさせられる書物である。
この書評を読んで、本書を読んでみたいと考える方がいらっしゃれば、本当にうれしく思います。裁判の抱える問題点や、原発について国民としてどう考えるのかを考えていただければ幸いです。
当職も、原発事故被災者の件に限らず、その他の件についても、現在、抱えている問題点をしっかり把握したうえで、ご依頼者差の利益を図るように努めておりますので、お困りの際は、弊事務所にご相談ください。
弁護士 林 浩靖
そのたまっているものの一つに、「積ん読」状態になっている本を読むことがあります。ということで、今日、読んだ「原発と裁判官 なぜ司法は「メルトダウン」を許したのか」について、書評をしたいと思います(本記事は書評なので、ここからは、「です」「ます」調ではなく、「だ」「である」調で書きます。)。
本書の著者は、二人とも朝日新聞の記者で、もともと「朝日新聞のオピニオン面で2011年から2012年にかけて5回にわたって掲載したインタビュー記事が出発点」(201頁。なお、漢数字は算用数字に直した。)になっている書物であるから、法律の専門家向けの書物ではなく、一般向けの書物である。そのため、議論している裁判の判決年月日がきちんと示されていないなど、業務の上で用いるには、若干、使いにくい面があることは否めない(一般向けの本なので、本文に判決年月日を書かないのは読みやすさを考えればやむを得ない面があるが、できれば、巻末にまとめて示すなどの工夫をしてほしかった)が、それでも、通常語られることのない裁判官の葛藤などが示されている点で、一般の方にも、弁護士のような法律の専門家にも役に立つ本と言えよう。
福島第一原発の事故の前から、原発についての訴訟は、何件か提起されたことがあったが、住民側の主張が認められた事件は少なく、原発の運転差し止めが認められた最高裁判決は1件もなく、下級審の判決でも2例しかない(それも、いずれも、上級審で住民が逆転敗訴している。)。(ただし、新潟県巻町の原発候補地となった町有地売却の事件では、最高裁は、原発反対派側の主張を認めたので、結果的に原発建設が阻止された事例はある。)
住民側の主張が認められにくい一つの原因が、「伊方原発訴訟」の最高裁判決(最判平4・10・29)が、「原子炉施設の安全性に関する判断の適否が争われる原子炉設置許可処分の取消訴訟における裁判所の審理、判断は、原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の専門技術的な調査審議及び判断を基にしてされた被告行政庁の判断に不合理な点があるか否かという観点から行われるべきであって、現在の科学技術水準に照らし、右調査審議において用いられた具体的審査基準に不合理な点があり、あるいは当該原子炉施設が右の具体的審査基準に適合するとした原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の調査審議及び判断の過程に看過し難い過誤、欠落があり、被告行政庁の判断がこれに依拠してされたと認められる場合には、被告行政庁の右判断に不合理な点があるものとして、右判断に基づく原子炉設置許可処分は違法」として、裁判所の判断は、原子力安全員会の判断を尊重して行うという趣旨の基準を示したことにある。もちろん、この基準は、「原子力安全委員会が期待されているような役割を十分果たすのであれば」(144頁)、裁判所に原子力に関する専門的な知識があるわけではない以上、妥当なものと言えるであろう。しかしながら、この前提条件が満たされていなかったことは、福島第一原発の事故の後の経緯を見れば、現在ではすでに明らかであろう。
「いまの訴訟法が国策を争うようにはできていない」(75頁)というのは確かにそのとおりであるが、裁判官も人間であるから、結局は、国民の意識の問題であろう。結論は間違いなく、「国民の意識が変われば裁判も変わる」(196頁)ということである。裁判所は、人権の最後の砦であり、それを支えるのは、国民の意識であることは間違いない。裁判の抱える問題点も含めて、いろいろと考えさせられる書物である。
この書評を読んで、本書を読んでみたいと考える方がいらっしゃれば、本当にうれしく思います。裁判の抱える問題点や、原発について国民としてどう考えるのかを考えていただければ幸いです。
当職も、原発事故被災者の件に限らず、その他の件についても、現在、抱えている問題点をしっかり把握したうえで、ご依頼者差の利益を図るように努めておりますので、お困りの際は、弊事務所にご相談ください。
弁護士 林 浩靖
投稿者 林浩靖法律事務所