所長ブログ

2013年9月27日 金曜日

出張のお知らせ

当職は、来週10月1日(火)の午後から、4日(金)まで、地方出張を予定しております。

そのため、来週火曜日(10月1日)以降のお問い合わせに関しましては、10月7日(月)以降の回答になりますので、ご了承賜りますようにお願いいたします。

林浩靖法律事務所
弁護士 林 浩靖

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2013年9月23日 月曜日

[書評]北居功=高田晴仁編著 民法とつながる商法総則・商行為法(商事法務)

3連休の最終日ですので、読み終えた本の書評をしたいと思います。今回、採り上げるのは、「民法とつながる商法総則・商行為法」(商事法務)です(本記事は書評なので、ここからは、「です」「ます」調ではなく、「だ」「である」調で書きます。)。

この本の編著者両名は、慶応大学教授で、北居教授の専門は民法、高田教授の専門は商法である。北居教授と高田教授の両名が編者となって、両名を含む21名の学者の共著として、本書は執筆されている。この本は、はしがきに「商法を勉強しながら民法の復習・理解の深化につなげる」(はしがきⅰ頁)とあるように、基本的には、学生向けの書物と思われる。以前、ブログにて、法律家の能力の低下について書きました(該当する記事は、こちら)が、法律家だけがレベル低下するはずはなく、法学部の学生の多くの理解も落ちていると考えられる。そういうことを考えたとき、今の学生には、民法を復習しながら、商法の勉強ができる本書のような本は、適切だとと思う。とはいっても、本書は、商法成立に至る歴史的経緯も踏まえられ、また、海上運送や鉄道運送、運送保険なども含まれ、保険法・海商法や鉄道営業法などにも目配りして論述されている点で、一通り、学習した者にも有益であると思う。そもそも、商法総則・商行為法は、もともと書籍の豊富な分野ではなく、特に、ロー・スクールが設立され、司法試験が、旧試験から新試験に代わり、商法総則・商行為法が出題されにくくなったために、ますます書籍が減少していることを考えれば、実務家にも役に立つ書籍だと思う。

林浩靖法律事務所では、常に、知識のブラッシュ・アップを図り、ご依頼者の方の利益を保護するために最も効果的な方法を取れるように、常に準備をしておりますので、何か困ったことがあるときは、早めに、東京・池袋所在の弊事務所にお問い合わせください。

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2013年9月16日 月曜日

[書評]佐藤優 新・帝国主義の時代 左巻 情勢分析篇(中央公論新社)

今日は、敬老の日ということで、祝日です。そこで、「積ん読」状態になっている本の中から、佐藤優著「新・帝国主義の時代 左巻 情勢分析篇」を読んだので、この本の書評をしたいと思います(本記事は書評なので、ここからは、「です」「ます」調ではなく、「だ」「である」調で書きます。)。

本書の著者は、作家・元外務省主任分析官で、以前、書評をした『子どもの教養の育て方』(東洋経済新報社)(→該当する記事は、こちら)の共著者の一人である。著者は、その経歴からも分かるように、元官僚であるので、保守的な意見が多いが、本書は、「情勢分析篇」とあるように、現状分析を中心とした本であるから、その思想に関係なく役に立つ本である。特に、本書は、レーニンの「帝国主義」やアーネスト・ゲルナーの「民族とナショナリズム」などの古典を踏まえた上で、分析が行われているので、古典を、現代を見るにあたってどのように活かすかを知るという点でも、役に立つ本である。たとえば、著者は、「(マルクスの)『資本論』の論理は、現在の新自由主義に基づくグローバル資本主義を分析する際に役に立つ」(39頁)など、古典の使い方を指摘している。

また、北朝鮮について、「首領は可視化された神話」(125頁)などと、一種の宗教的な観点からの視点を提示することで、何を考えて行動しているのかよく分からなくなる北朝鮮の行動パターンを見るための視点を示してくれている点でも良い。イスラーム原理主義の問題も含め、「宗教」という視点を導入することで、世界情勢が、かなり分かり易くなることが示されている。宗教は、信じていない者にとっては、不合理でばかばかしいものに見えるが、現実の影響力は大きいことが分かる。

国際情勢について、多くが費やされているが、日米密約に関して、「日本政府の説明は、嘘を含む不正直なもの。民主主義の原則から、本来あってはならない。」(398頁)と報告書で指摘されたことを引きながら、外務省の問題点を指摘しているが、この話は、日米密約の問題だけでなく、原発の問題にも同じことが言えるだろう。その点で、国際情勢だけでなく、国内問題にも関係する指摘がなされていると思う。

また、著者は、逮捕され、東京拘置所に収容されていた経験もあることから、「検察庁から拘置所に護送される前に弁護人を会うことができれば、不安はかなり軽減することができる」(383頁)など、被疑者・被告人の立場から、弁護人に参考になることを指摘されている点も、弁護士である当職には参考になる記載であった。この点は、弁護士などにとって役立つだけではあるが、こういう小さな指摘がきちんとされている点でも、本書は良書であると思う。

実際に生じる事件には、経済情勢など、その時々の社会情勢に応じて、生じる事件にも差異が生じるから、現実の社会情勢をきちんと押さえることは、弁護士としての業務処理にも役立ちます。法律知識だけでなく、社会情勢もきちんと押さえて、ご依頼者様のために最善を尽くす東京・池袋所在の林浩靖法律事務所に、お困りの際は、ぜひご相談ください。

弁護士 林 浩靖

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2013年9月13日 金曜日

法律家に必要な資質に関する雑感

今週の火曜日に司法試験の合格発表がありました。ちょうどいい機会なので、法律家に必要な資質に関して、最近、感じることを書きたいと思います。なお、法律家については、いろいろな解釈がありますが、ここでは、いわゆる法曹三者(裁判官、検察官、弁護士)についての話に限定し、司法書士などの隣接士業や公務員などは議論の対象に含めないことにします。

最近の事件処理の中で感じることは、法曹三者、特に弁護士の中に、著しく能力に問題のあると感じる者が増えていることです。当職は、9年前の10月に弁護士になり、2つの事務所で勤務弁護士を経験した後、昨年8月に独立しました。最初の事務所は、どちらかと言えば企業法務、特に、契約書の作成が中心でしたので、あまり他の事務所の弁護士の書いた書面を見る機会はありませんでしたが、少なくとも、紛争の相手方の代理人となっている弁護士も、法律家としての通常の能力は備えていました。二つ目の事務所は、金融商品被害の事件が中心の事務所でしたので、訴訟事件は多かったですが、相手方は、主に、銀行や証券会社で、数が限られていますから、彼らの代理人となる弁護士も数が限られていました(同じ会社が、次々と別の弁護士を雇うわけないので、ある意味当然のことですね)し、ある意味、紛争に手馴れている会社(特に証券会社)ですから、弁護士の能力をきちんと見極める目を持っていて、法律家としての通常の能力は備えている弁護士がほとんどでした。

独立後、種々の事件を扱っていますので、相手方となる弁護士のタイプも増えてきました。そうすると、「弁護士の能力低下」ということが言われる理由が実感できるようになりました。前にもブログで書きました(該当する記事は、こちら)が、書面の日本語の意味の分からない弁護士も出てきました。

また、現在、東京地方裁判所で行っているある事件の相手方の弁護士の書いた書面は、明らかに法律家としての知識・能力の不足を感じさせるものでした。その弁護士の請求の趣旨に対する答弁は、訴えの却下を求めるものでしたが、訴え却下判決は、訴訟判決であり、法律上、必要な訴訟の要件が欠けている場合でなければなされない判決ですから、普通の弁護士であれば、訴え却下判決を求める場合も、訴え却下判決を求めつつ、予備的に(すなわち、訴え却下が認められない場合にはということで)請求の棄却判決を求めるのが普通です。しかしながら、その弁護士の作成した書面には、訴えの却下だけを求め、予備的に請求棄却を求めることが何も書かれていませんでした。さすがに、その弁護士も、これは、書面を書いた後、期日までに気付いたようで、法廷で、次回の準備書面で追加する予定であることを言っていましたが、通常の能力と経験を備えた弁護士なら、書面を出す前に必ず気づく部分です。さらに、今、この弁護士が書いた書面に対する反論を書いているのですが、会社法の規定を完全に無視した主張など、突っ込める部分が多すぎて、どこから手を付けていいのか分からなくなるようなひどい内容の書面でした。もちろん、日本の法律は数多くありますので、すべての法律に精通することなど、どんな法律家にも無理ですが、法律家であれば、必ず押さえておかなければならない基本的な法律というものはあり、民法や刑法と並んで、会社法はそのような法律ですから、法律家であれば当然身に着けていなければならないわけです。しかしこの弁護士は身についていないということなのでしょう。守秘義務があるので、詳しくはかけませんが、この事件には当職の依頼者にも苦しい部分もあり、相手方が適切に対応すれば、結構ギリギリの勝負になってしまう案件なので、この弁護士の知識・能力不足に救われそうな面はあります。その意味では有難いとは言えますが、法律家の能力という面で見れば由々しき問題と言わざるを得ません。

特に、法科大学院(ロー・スクール)開校前後、コミュニケーション能力が必要だとか、知財立国の時代だから理系の素養を持った法律家を増やす必要あるとかいろいろ言われました。確かに、コミュニケーション能力だって、理系の知識だって、英語、中国語に限らず語学の能力だって、簿記・会計の知識だってあるに越したことはありません。しかしながら、大前提が一つ忘れられているように思えます。それは、基本的な法的知識をきちんと有しており、法律家としての考え方(「リーガル・マインド」といいます。)をきちんと身に着けていることです。いくら人格が高潔で、費用が安価で、コミュニケーションが上手で、外国語も流暢に操り、理系の知識も豊富で、簿記・会計も理解している法律家がいたとしても、その法律家に肝心の法律の基本的な知識やリーガル・マインドがなければ、法律家としては使い道がないことは当然でしょう。医療のついての知識のない医者が使い物にならないのと同じです。

ロー・スクールができる前は、司法試験の難易度が高かったこともあり、少なくとも、基本的な法的知識とリーガル・マインドについては、司法試験に合格しているという事実が、(100%ではないにしてのかなりの高確率で)担保していました。確かに、変わった人や高慢な人は、裁判官にも検察官にも弁護士にもいました。それは、問題ではあるし、弁護士費用も高いと思われていたかもしれませんが、少なくとも、法律家としての最低限は確保されている人がほとんどと考えて良かったわけです。

そもそも、官僚である裁判官や検察官と違い、弁護士は、専門知識を用いたサービス業です。そして、前提となる知識の維持には費用も掛かるわけですから、弁護士費用が、ある程度、高額な料金になるのは、やむを得ないものです。日本では、サービスに対する対価という概念が希薄なので、弁護士費用を高いと思うのだろうと思いますが、昔から、高すぎるわけではなかったと思います(弁護士が、豪勢な生活を送っていたという話は、かなりまれな話でしょう)。それは、もともと、弁護士は企業家ではないので、当たり前の話と言えば当たり前の話ですし、逆に、弁護士も生活しているわけですから、自らの生活の糧や事務所の維持費用はきちんと稼がなければならないので、むやみに低額にすることもできないわけです。また、一定の費用が掛かるとしても、弁護士の場合は、レベルを維持する必要が高い職業と思います。それは、例えば、食材であれば、1回しか買わない食材など極めてまれですから、価格と品質のバランスを消費者はきちんと考えることができます。たとえば、いくら安くても、腐ったトマトは買わないでしょう。これに対して、弁護士を頼むというのは、事業者は別として、一般の個人は、そうそうあることではないし、何度も紛争に巻き込まれるようでは困ります。一度限りということが非常に多いわけです。そうすると、「品質」の方は、基準が分からないので、よく分からない訳です。しかし、実際には、費用の安さにひかれて、質の悪い弁護士に依頼すると、勝てる事件も勝てなくなる可能性があり、費用の差額程度では補えない大きな損失被るわけです。つまり、弁護士の場合、「質」が大事であるにもかかわらず、「質」は、一般の個人にはよく分からないという問題があるわけで、市場原理に任せるわけにはいかない面があるわけです。下手すれば、「質」が良いかわりに、弁護士費用をきちんととる弁護士が経済的に淘汰されて、世間が、「安かろう、悪かろう」の法律家だらけになってしまう恐れがあるわけです。前に挙げた二つの事件の弁護士が、どの程度の報酬を得たのか分かりませんが、「悪かろう」に属することは間違えないわけで、それは、同業者である弁護士などの法律家が見れば、すぐに分かります。

東京・池袋所在の林浩靖法律事務所の弁護士費用の基準が、「安くない」ことは、当職も承知していますが、「質」に見合ったものであることは、自信を持って言えます(なお、個々の事情によって、基準からお値引きすることは、もちろん行っています)。「安かろう、悪かろう」の弁護士ではなく、「質」を売りにしている弊事務所に、お困りの際は、ぜひご相談ください。

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2013年9月 5日 木曜日

非嫡出子相続分の違憲決定に関する雑感

既に新聞報道などでご存知の方が多いと思いますが、昨日、最高裁判所が、非嫡出子相続分を嫡出子の2分の1と規定する民法900条4号ただし書について、違憲とする決定を下しました(全文は、最高裁のホームページにあります。こちらにリンクを貼っておきます。)

要は、昔は、確かに規定の合理性はあったが、婚姻、家族の形態も様々になったため、国民の意識も多様化し、また、諸外国の状況も変化しているし、我が国の法制も変化していることを考えると、少なくとも、平成13年7月(問題になっている事件での被相続人が死亡した時です)には、900条4号ただし書は、違憲なものとなっていたと最高裁は、昨日、判断したわけです(「決定」なのは、事件が特別抗告事件だからです。)。

報道によると、非嫡出子の方は「『2分の1』と言われた自分の生きる価値を取り戻した」と喜びを語り、嫡出子の方は、母親が法の規定を支えに精神的苦痛に耐えてきたことを挙げ、「私たちにとって納得できるものではなく、非常に残念で受け入れ難い」とのコメントをされたそうです。気持ちとしては、どちらの気持ちもわかる話ですし、当職も、ご依頼者様が非嫡出子であれば、民法900条4号ただし書の合憲性を争い、逆にご依頼者様が嫡出子であれば、民法900条4号ただし書は、法律婚の尊重を考慮した合理的な区別と主張して、争うでしょう。

ただ、どちらかの当事者の代理人という立場ではなく、一人の法律家の立場としてみれば、非嫡出子で生まれることは、子どもがどうすることもできない事項ですから、結論としては、違憲とした今回の最高裁の考え方で良いと思います。法律婚の尊重は、法律上、配偶者には相続権を与え、婚姻関係にない者には相続権を与えないことで図られていますし、それに加えて子どもの相続分を差別する必要はないし、子どもの相続分を差別すべき問題でもないと思うからです。

直接聞いた話ではなく新聞報道ですから、どこまで正しいかは分かりませんが、もし報道通りの発言だったとすれば、嫡出子の方の発言は、気持ちはよく分かるけれども、母親の問題と自分の問題を混同しているとしか思えません。母親は、配偶者ですから2分の1の相続分があり、非嫡出子がいるかどうかで、本人の相続分の変わる問題ではありません。他方、(倫理的に故人が良いかは別として)生まれてきた非嫡出子は、自分で、非嫡出子であることを選んだわけではないし、同じ故人の、「子ども」という同じ立場にあるものである以上、子ども同士は平等に扱うべきと思うからです。

本件の最高裁の決定は、賛否はあると思いますし、どちらの言い分も、それなりには説得力があると思います。ただ、心情としてはともかく、法律家としては、少なくとも、「配偶者」といわゆる「2号」の問題は「配偶者」といわゆる「2号」の間の問題で、配偶者の子の問題ではない以上、「子」の間で優劣をつけるというのは違うと思います。

弊事務所でも、「相続問題」を取り扱っていますが、昨日の最高裁の決定は、立場にかかわらず、非常に重要なものであることだけは間違いありません。「相続問題」に限らず、弊事務所では、常に、重要な最新情報を押さえ、ご依頼者様の満足の得られるサービスの提供に努めておりますので、お困りの際は、東京・池袋所在の林浩靖法律事務所にご相談ください。

弁護士 林 浩靖

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